世間から見れば「貧乏人」と思われるかもしれません。しかし、私は自分の暮らしが豊かで幸せだと心から感じています。過去には、貧乏を理由に夢を諦めたこともありましたが、今では自分なりの幸福を見つけ、自由に生きることができています。そんな「贅沢貧乏」な私の人生を振り返ってみたいと思います。
過去の貧乏体験
私は、正真正銘の貧乏生活を送っていました。どれだけ貧しかったかを具体的に言うのは恥ずかしいですが、例えば、学校の給食費を払うのがやっとだったことや、冬でも薄いコートしか持っていなかったことを思い出します。周りの子供たちが新しい服や靴を買ってもらっているのを見て、羨ましいと思うこともありました。
それでも、不思議とその頃の私は、不自由を感じることなく、自分のやりたいことを追求していました。例えば、友達が遊びに誘ってくれるとき、私は「お金がないから」と言う代わりに、近所の公園や図書館で一緒に過ごすことを提案していました。遊び方を工夫すれば、無理なく楽しめることに気づいていたからです。
家族との関係と早期の自立
私たちの家族は、母が一人で私と弟を育ててくれました。母は仕事に忙しく、私たちは早くから自分たちでできることをするように教えられました。弟は中学生になるとアルバイトを始め、家計を助けるために貢献していました。その姿を見て、私も何か力になりたいと思い、中学生の頃から働くようになりました。
私の最初のアルバイトは近所のスーパーでのレジ打ちでした。給料は少なかったですが、自分の力でお金を稼ぐことの達成感は、今でも鮮明に覚えています。そして18歳になり、高校を卒業するとすぐに家を出て、正社員として働き始めました。あの時の自分の決断は、今でも誇りに思っています。自立することで、家族への負担を少しでも減らしたかったからです。
玉の輿と精神的な療養
その後、思いがけず結婚し、二度目の夫とは「玉の輿」に乗ったようなものでした。彼は経済的に安定していて、私は何不自由なく暮らすことができました。しかし、そんな恵まれた状況でも、私は精神的に追い詰められてしまい、最終的には療養生活を送ることになりました。
療養中、私はトーマス・マンの「魔の山」を読んで、自分の状況と重ね合わせていました。「魔の山」は、健康と病の狭間に立たされる人々の物語で、当時の私にとって非常に共感できる内容でした。ドイツの作家たちが描く暗いテーマには、どこか自分の心情を映し出すようなものがあり、彼らの作品を乱読することで、自分の感情を整理しようとしていたのだと思います。
贅沢貧乏な今の生活
現在の私は、好きな本を大人買いできるほどの余裕があります。昔の貧乏生活からは想像もできなかったことです。本に囲まれて過ごす時間は、私にとって何よりの贅沢です。お気に入りの作家の新作が出るたびに、自分へのご褒美として購入し、夜更かしをして読みふけることもあります。
また、語学の勉強や法律の知識を深めることも私の日常の一部です。これらの学びは、自分の視野を広げるだけでなく、日常生活にも役立つことが多いです。たとえば、法律の知識を活かして家計を管理したり、語学力を活かして外国の友人と交流したりしています。
パートでの仕事も楽しく、仲間と一緒に働くことで社会とのつながりを感じています。収入は多くありませんが、自分が必要とするものはすべて手に入れられています。衣食住についても、昔のように我慢することなく、自分の好きなようにできるこの生活が、私にとっての「贅沢貧乏」です。
まとめ:令和の贅沢貧乏人生
振り返ってみると、過去の厳しい時期があったからこそ、今の自分があるのだと感じます。世間から見れば「貧乏人」と言われるかもしれませんが、私は自分の人生に満足しています。何不自由なく、自分の好きなことをして生きられる今の生活は、まさに私にとっての理想です。
これが、令和の贅沢貧乏な人生です。物質的な豊かさだけではなく、精神的な豊かさを大切にしながら、自分らしく生きることこそが、本当の幸せだと感じています。私はこれからも、この「贅沢貧乏」な人生を楽しみながら、歩んでいきたいと思います。
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