「いい生活」って、なんだろう?
お金があること?ミニマルに暮らすこと?それとも、起業して自由に働くこと?
でも私は思う。スマートじゃなくても、整っていなくても、必死に生きたその先にこそ、本当の“幸せ”があるんじゃないかと。
今回は、私が感じた「いい生活」と「幸せ」の違いについて書いてみます。
いい生活って、実際なんなの?
副業して、起業して、投資もして、「自由でスマートに稼ぐ」。
今の時代、そんなライフスタイルが“理想”として描かれがち。
あるいは、シンプルライフ、低コストライフを発信して「センスいいでしょ」的な空気も、少しある。
でも…それって「幸せ」なのかな?
たまたま時代の波に合ってるだけかもしれない。
なんだか、物足りない。そう感じるのは、昭和生まれの私だけ?
林真理子の言葉が沁みる理由
最近また読み返した『野心のすすめ』。
「そう、それだよね」とうなずく自分がいた。
なんとなく、努力や情熱を否定するような空気が漂う時代に、
“がむしゃらでもいいじゃないか”と、背中を押してくれる真理子先生の言葉は、
おばさんには沁みるのです。
美人じゃなかったからこそ、がんばれた
私は、もともと顔も心もブスだった。
でも、だからこそ「せめて頭だけでもクリアにいたい」と思って、
英語とフランス語を独学して、本を読み、一人旅に出て、仕事をして、
毎日を積み重ねてきた。
この顔も、自分で作ってきた。
経験を重ね、少しずつ磨いて、形にしてきた。
それが、私の“幸せの道”だった。
夢中になって、失敗して、また夢中になる
何かに打ち込み、飽きて、失敗して、また別の何かに夢中になる。
その繰り返しが、人生。
「効率的」じゃないかもしれないけど、でもそのたびに、自分は確実に何かを得てきた。
だから私は、スマートな“いい生活”よりも、
がむしゃらに生きたこの人生に、誇りを持ちたい。
幸せって、そういうものじゃない?
スマートに、賢く、無駄なく生きることが「いい生活」なら、
私はちょっと、そっちじゃないかもしれない。
でも、たくさん悩んで、たくさん動いて、傷ついたり笑ったりしながら、
その全部を糧にしてきた今の自分は、
少なくとも「自分の人生を生きてる」と言える。
それって、すごく幸せなことなんじゃないかな。
まとめ
いい生活=幸せ、とは限らない。
整っていなくても、不器用でも、がむしゃらに生きてきたこと。
それが、自分だけの「人生の物語」になる。
だから私は、今日もがむしゃらに、生きてみようと思います。
あなたにとっての“幸せ”は、どんなかたちですか?
コメント