結婚なんて想像していなかった私
正直なところ、自分が結婚するとは思っていませんでした。ずっと「ひとりぼっち」で過ごすんだろうなと感じていたからです。障害者年金と生活保護で生活し、B型作業所で働き続けて、36歳くらいにはグループホームに入って一生を過ごすんだろうと、ぼんやりと考えていました。そんな未来しか見えなかった私が、今こうして結婚生活を送っているのは、ある意味、奇跡のようなことです。
孤独感と障害の狭間で
結婚している今でも、正直、孤独感を感じることがあります。心の中には、まだどこかに「自分はひとり」という感覚が残っているんです。統合失調症を抱え、障害者手帳を持っている自分にとっては、周囲の人との違いが常に心に影を落としています。それは「自分は普通の人とは違う」という無意識の壁のようなもので、長い間その壁を破ることができないでいました。
運命の出会いと結婚生活
そんな私にも、今の夫と出会い、結婚する運びになりました。「どうして自分が彼と結ばれたんだろう?」と、今でも不思議に思うことがあります。正直、結婚までの過程が「なんだかよくわからないうちに進んでいた」という感じです。けれど、これもまた人生の流れなのかもしれません。
日常生活では、お互いに支え合うことが多いです。夫は、私の状態を理解し、思いやりを持って接してくれます。それが本当にありがたく、心強いのです。けれど、夫の優しさに甘え過ぎないように、自分もできることをしっかりとやるように心がけています。
夫に愛される理由:素直さという強み
夫はよく、「君の素直さが好きだ」と言います。私は自分で「素直だ」と感じたことはあまりありません。それでも、彼が感じる「素直さ」というのは、思ったことをすぐに口にするところや、嘘をつかない性格が影響しているのかもしれません。
確かに、私は自分の気持ちを押し隠すことができないタイプです。感じたことや思ったことは、すぐに口に出してしまいます。それが、夫にとっては心地よいのだと言われたことがあります。人によっては、正直すぎるところが欠点に映るかもしれませんが、夫はその部分をポジティブに捉えてくれているのです。
障害は関係ない、人としての価値
「障害者だから結婚できるかできないか」という問いは、実は本質を捉えていないように感じます。私は障害者である前に、一人の人間です。意思もあり、自分の人生を自分で決める力も持っています。法的には、精神障害者や認知症の人に対して「制限行為能力者」として制限されることがありますが、私は自分のことを自分で決めることができる人間だと思っています。
自分が持っている障害が、私の価値を決めるものではありません。大事なのは、障害の有無ではなく、人としてどう生きるかということです。私自身、障害を抱えながらも、人間としての権利や尊厳を大切にして生きています。
人は皆、ほころびを抱えて生きる
私自身、時々「自分はどこか欠けている」と感じることがあります。それが、どこか特定の能力やスキルが欠けているというわけではありません。むしろ、「普通の人間としてあるべき力」が自分には足りないような感覚です。社会に適応できなかったり、人との関係がうまく築けなかったりすると、自分の中でその「ほころび」を強く感じます。
けれども、考えてみれば、誰しもが何かしらの「ほころび」を持って生きているのではないでしょうか。完璧な人間なんていません。知的能力や身体的な特徴に関わらず、心の中に何らかの不完全さを抱えて生きているのが人間だと思います。
まとめ:自分らしく生きるということ
結局、結婚というのは、障害の有無にかかわらず、自分らしく生きていくための一つの選択肢だと思います。私の場合は、夫に支えられながら、日々自分の気持ちを大切にし、素直に生きていくことが、結婚生活を円滑にしているのだと思います。
もし、同じように障害を抱えながら結婚を望んでいる方がいるなら、私の経験が少しでも役に立てば嬉しいです。自分に何ができるかではなく、自分がどうありたいかを大切にして、一歩一歩前に進んでほしいです。そして、その歩みの中で、誰かと出会い、結婚という形でお互いを支え合うことができるかもしれません。それは、素敵なことだと思います。
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